結婚はタイミングがすべてなのか?

恋愛

 別れる理由は何だったのだろうか。どちらかが冷めてしまったのだろうか。相思相愛に見えていたが、2人にしかわからない溝があってそれがどんどん深くなっていったのか。そんなこと私がわかるはずがないが原因を考えたくなるくらい2人が輝いていた。長いがゆえに日々がマンネリ化してしまったのだろうか。でも長く付き合うとそういう風になっていくだろうか。でも隣にいることが日常になることほど幸せなことはないだろう。これからも一緒にいる未来が想像できなかったのだろうか。なぜ?出るはずがない答えをずっと探している。

 よく「結婚はタイミング」と言われる。もし仮に結婚がタイミングゲームならこれほど残酷でつまらないゲームはないだろう。そのタイミングがいつなのか誰にもわからないからだ。結婚の攻略本なんてものは信じられない。結婚なんてその人の結婚観でしか語れない。

ではそのタイミングとはいつなのか。1人でいることが寂しく感じた時なのか、子供がほしいと思った時なのか、はたまた単純に年齢なのか。

 そもそも恋愛のゴールは結婚なのだろうか。ゴールという概念が間違っているかのもしれない。結婚というのは1つの愛の形だろう。この人とこれからも一緒にいたいという気持ちを婚姻関係を結び形に残すのだ。愛というものは目に見えにくいから少しでも目に見えるもので残そうする。写真や映像として残すものもあれば、言葉で文で残す場合もあるだろう。そうして形として残さないと人は不安になるのだ。愛は人を強くする薬でもあるし、人を弱くする毒でもある。「この人がいれば頑張れる」になればいいが、「この人がいないと駄目」になれば一気に人は脆くなる。

上記で結婚はゴール述べていたが訂正する。結婚はスタートである。よくよく考えれば結婚してからの時間のほうが圧倒的に長い。そんなパートナーをほんの数年の付き合いで見極まなければいけない。結婚前提の恋愛とはなんてハードゲームなのだろうか。ほぼギャンブルである。しかも答え合わせはどちらか死ぬまでわからない。そんなハードゲームがさらにタイミングで決まると言われているのだからもう無理ゲーである。しかし、そんなハードゲームでも最善を尽くしたいと思っている。自分が結婚できる見込みはまだないが、結婚相手は「この人でいいや」ではなく「この人がいいな」で決めたい。ゼクシィのキャッチフレーズに「結婚しなくても幸せになれる時代にあなたと結婚したい」という言葉がある。なんと素晴らしい言葉だろうか。仰るとおり、現代には結婚などしなくても自分を幸せにできるツールが山ほどある。そんな時代でも一緒にいることが幸せだと感じる人に出会えたらはっきり言おう。その人は勝ち組だと。幸せとはどれだけもらえるかではなく、どれだけ与えるかだと思っている(急に哲学的になってすまない)。そういった与える相手がいるというはとても素晴らしいことだし、より人生を豊かにするだろう。これだけ書き進めたが結婚がタイミングがすべてなのかは答えは出なかった。わかったのは、自分は結婚したいということだけだった。

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